2014.09.20
こんにちは ハラダです。
ミヤザキさんに引き続き、曽我チーム(曽我さん、上手さん、原田)の9月14日~15日の前穂・四峰の投稿をいたします。
□9月13日(土)
夕方より沢渡へ向けて、出発し、曽我車と23時頃合流。
岩佐さんの手料理を振る舞って戴く。パテだとか、洒落た料理である。焼酎で食べるにはもったいなかった。
軽い宴会を終え、日付を越えた、0時半頃、明日に備え、そそくさと寝に着く。
が、テントを張った場所が駐車場の近くであったため、車中泊の車が、エンジンをかけっぱしで寝ていたり、
星空を見上げ、カシオペア座で盛り上がっていたりで、皆、あまり良い睡眠は取れなかった。
□9月14日(日)
4時半起床、5時よりタクシーに乗り合わせ、上高地入り。
5時15分頃、上高地より行動開始。
8時中畠新道分岐、休憩、水分補給の上、8時20分頃、発。
急登、ガレ場、雪渓を経て、
12時頃 四峰正面壁、取り付きに到着。
6時間に及ぶ、アプローチであったが、ここのところ頻発していた「黒戸病」、いわゆる膝、足痛は発生せず、やはり、黒戸尾根ならではの黒戸病であったのである。
しかし、黒戸病は、取り付きまでの到着を遅らせたことは否めなかった。
こんな頃より、日は差さず、曇空となってきた。
ここまでが、共同の行動であったが、ここからはチーム曽我の行動開始である。
他の2パーティとは異なり、我らは、松高ルート。
結果として、取り付きなど、ルートはわかったが、
以前の頃とは異なり、あまり登られていないようで、わかりにくく、
曽我さんは北条・新村の取り付きから攀っていく。
ここの取り付きにいたことが、今回の分かれ道となった。(ミヤザキ氏による確保器顛末記参照)
何度も探り探り、ルートを探すが、松高ルートは判別できない。
ややもすると、時間も14時半ともなった。
「今日はもうこんな時間だし、奥又白池に戻りましょう」ってことになり、
下りたくないアプローチを時間をかけながら、ゆっくり下っていく。
が
そんな中、下りながらも他のパーティの様子を振り返りながら、みていると、
皆、全く動かない。
特に黄色のザック(宮崎)が目立つが、壁に張り付いたままである。
その間も1時間以上。
少し、岩佐さんの声も聞こえる。
そして、岩佐さんが降りてきているように見える。
原「黄色のザックがずっと同じ場所にいますぞ」
曽「そうですねぇ」
上「なにかあったんじゃないですか!」
そんなやりとりを経ながら、奥又白池に、5時過ぎに到着。
この景色は、他のパーティーが見ていない楽園たる風景であろう。
到着し、ツェルトを張っていると、ほろ酔いになっている他のテン泊の人々が、
Q「登ってきたんですか?」
A「取り付きまで行っただけです」(苦い)
Q「あのまだ壁に張り付いているパーティ、どうしたんですか?」
A「・・・」(苦しい)
Q「何何?」
A「私たちの仲間です」(またまた苦しい)
そして、日も暮れて、四峰正面壁を見ると、
上層に2つ、下層に2つのライトが灯り、4つある。
「生きているぞ!」「ビバァーク」しているぞと、希望の灯火が点いた♪
皆、無事なんだ!みんなガンバレ!
そんな気持ちをよそに、「夜飲んだウィスキー、めっちゃうまかった」(若頭談)
そして、
ツェルトの中で、お酒も飲まず、食事を取った後、
リーダー曽我さんより、
「明日は、朝一番から救助に向かう!なるだけ、空荷にして、いくように」
上・原「OH!」
となり、4時半起床。5時出発の予定で、8時には横になった。
寝たのか、寝られてないのかの夜を送り、
□9月15日(月・敬老の日)
そして、朝を迎えた。
予定通り、5時頃に出発。
この日の日の出の景色は、最高に綺麗であったが、記録には残せなかったが、私の記憶には残してある(笑)
7時頃、北条・新村ルートの取り付きに到着。
皆の名前を腹一杯の声で、呼びかけてみる。
「いわさーん」「早得ーん」「ねえさーん」「どげんかー」
しかし、なんの返答もない。
そこで、曽我さんは、1P,2Pと登っていき、テラスへ。
何かしゃべってる。。
え?!何々?!
その内、スルスルと懸垂で降りてき、
「あれ?!確保器!ラッキー♪」って。
どうしたんですか?
「うん、大丈夫だって。登っていくんだって。」と。
いったい、なんだったの?昨日の断酒は。。
この悪いアプローチを来たのは。。
岩佐チームはもう既に頂上へ向かっていき、斉藤チームがテラスで寝ていたのであった。
そのテラスにいた斉藤チームは、これから、登るそうな。
大きな事故なくて、よかったねと、
11時奥又白池、13時徳沢園、15時上高地へと下って来、
岩佐チームと合流。17時過ぎ、斉藤チームも合流の上、下山完了と相成りました。
山を登る、
皆で登る、
山を下りること
様々、愉快なことですね