2014.09.04
ミヤザキです。
異常気象に翻弄されたこの夏の顛末です。
気合いは十分入っていた。
妻子を帰省させ、仕事の調整もつけてようやく確保した8月26~29日の夏の4連休。
平日なのでパートナーは見つからないが、だったら以前から温めていた槍穂稜線全踏破をやろうと思った。
22日
最初の計画書【上高地→北鎌尾根→槍ヶ岳→北穂→涸沢→前穂北尾根→奥穂→西穂→焼岳→中ノ湯】を提出。
基本コンセプトに、前穂北尾根のソロ登攀も加えたお腹いっぱいの計画。
西村代表には無理せず状況を見ながらということで認めてもらったが、北尾根ソロのリスクはやはり悩みどころ。
23日
注意深く天気をチェックしていると、どうも4日間雨が降らないということはありえない状況になってきた。
欲張らずに基本コンセプトだけに変更し、2度目の計画書【上高地→北鎌尾根→槍ヶ岳→北穂→奥穂→西穂→焼岳→中ノ湯】を提出。
25日
翌26日の雨が確実に。初日ビバーク予定地の北鎌沢出合は天上沢沿いということで、雨中は危険。
さらに27日も荒れる可能性があり、北鎌尾根も危うい。ということで山行中止を決定。
26日
28、29日は天候の回復が見込めるため、必死にパートナーを探したところ、瀧根さんが引き受けてくれた。
3度目の計画書【徳沢→前穂東壁(北壁~Aフェース)→徳沢→横尾本谷右俣→南岳→上高地】を提出。
瀧根さんは28日の前穂だけで、自分は29日にソロで横尾本谷に入る。
27日
出発準備が終わるころ、瀧根さんから電話が。
「明日の天気も良くなさそうだから、前穂はやめよう」
たしかに、ただでさえ落石多発地帯の前穂。雨が降ればより危険は高まる。
ただ、予想天気は曇り。「上高地に向かっているなら高山で飲もう」というお誘いもあり、28日に晴れたら錫杖岳に行くということにして、瀧根さんに計画書の変更をお願いして高山に向かう。
4度目の計画書【錫杖岳・見張り塔からずっと】を瀧根さんが提出。
28日
前夜は居酒屋「樹」でしっかり飲みつつ、瀧根家にお邪魔。5時起床のつもりが3時に目覚めたので、瀧根さんが参加したK2やローツェの記録を読む。
5時に1階に降りると、天気予報を見ながら瀧根さんが渋い顔。空は曇り。
とりあえず行くだけ行きましょうと出発。取り付きに着くころには乾いているだろう。
しかし、平湯のバスターミナルでトイレから出てくると、瀧根さんがきっぱり。
「今日はやめようか」
その瞬間、 ( ゚д゚) って顔になったけど、翌日から大事なガイドを控えている瀧根さんにとっては重要な休養日。無理強いはできない。
瀧根家に戻り、モンブランやマッターホルンの映像を見せてもらい居間に寝転がってウトウト。
11時過ぎ、朝のワイドショーの明るい声がむなしく響くなか、「ああ、このままオレの4連休は山に入らないまま終わるのか…」とあきらめかけたところで、なぜだかやる気が再点火した。
「そんな馬鹿な。一人でもやれることやったれ」
時間は1日半しかないが、とりあえず奥穂~西穂間の歩きなら、それなりに充実するだろう。
錫杖のつもりだったためテント泊装備一式は家においてきてしまったが、この際山小屋泊もしかたない。
そこから瀧根さんに5度目の計画書【新穂高温泉~白出沢~穂高岳山荘~ジャンダルム~西穂山荘~新穂高温泉】の提出をお願いし、急いで新穂高温泉へ。
午後からの出発という山ヤ的には非常識な行動だが、もうヤケクソだ。
山荘スタッフに怒られない時間に着く、ということで18時着を目標タイムに設定し、最低限の荷物で出発。
ガスに追われるようにして登ってきた白出沢
新穂高温泉12:45-白出沢出合13:45-荷継小屋跡15:00-穂高岳山荘16:35
溜まった何かをぶつけつつ脇目も振らず登ったら、コースタイム8時間の半分切った。
山荘の夕食は高いくせに微妙。同室のおっさんたちのいびきの大合唱でほとんど眠れなかった。
まあいいや。すべてのネガティブなものを推進力に変えてやる。それがヤケクソ山行だ。
29日
日の出とともに出発。ジャンダルムの頭は直登。天狗の頭も鎖使わず直登。ともにⅢ級くらい。5時間切りたかったので、西穂独標からは走って降りた。トレランなかなか楽しいな。
ヤケクソ山行だけにヤケ岳まで行って中尾に下るコースも考えたが、水も行動食もなくなり、気持ち的にもある程度満たされたのでこれで打ち切り。
山ガールがテント張ってるのながめながらソフトクリーム食べた。
穂高岳山荘5:10-ジャンダルム6:15-天狗岳7:30-西穂高岳9:00-10:00西穂山荘10:20-11:00ロープウェー駅
天狗岳山頂に残置してあった謎のリュック。持ち主はどこへ…??
間天のコルあたりから見えた100m級の巨大スラブ。傾斜がもっとあれば登攀対象になりそう
今回、二転三転四転して5度も計画書を提出するという事態になりましたが、そのたびに緊急連絡先を引き受けてくれた矢野さん、確認していただいた西村代表、そしてドタバタ劇に巻き込んでしまった瀧根さんには深く感謝いたします。
余談ですが、山荘での夕食時に義足の女性登山者と話す機会がありました。
ガンで左膝から下を切断してから4年後に登山を再開。コースタイムの3倍以上の時間をかけて各山小屋に泊まりながら、この3000mまで一歩一歩登ってきたそうです。
彼女の充実した表情は、天気で計画が思い通りにいかないことなど些細なことだな、山は競うものではなく人それぞれ自分の目標があればいいんだな、という当たり前のことを教えてくれました。